potaon’s blog

教会PA考-キリスト教会で20年音響に係わってきて、いろいろ思うこと、次の世代に伝えていきたいこと。

音が伝わるということ(3) -音の3要素-

「音の3要素」

実際にわたしたちが聞いている音はその一つ一つが実に様々で、ユニークなもの。何一つ同じものはない。その一つ一つというのは何が違っているんだろうか? 何かが違っているから違って聞こえるのだけれど、そんなことを考えたことはあるだろうか?

 

その音を伝えるという立場に立った時、一つ一つの音の違いをある程度把握していないと、実はうまく伝えられなかったりする。たとえばバンド演奏のPAをしたりする場合、それぞれの楽器の音やボーカル(声)、それら一つ一つの音の違いを認識できているから、きちんとしたミックス作業ができるということ。それらのその音の違いを考えてみようということだ。

 

一般的には音には3つの要素があり、「音の3要素」と言われている。

 (1) 音の大きさ

 (2) 音の高さ

 (3) 音の表情(音質)

ボーカルについても、ギターについても、ピアノについても、ドラムについても、それぞれに3要素がある。「同じ大きさ」で「同じ高さ」の「ラ」の音をギターとピアノで弾いてもわたしたちには違って聞こえる。その違いが「音質」と呼ばれているもの。

 

次回からは、3要素それぞれについて、書いてみたい。

 

 

音が伝わるということ(2)

音が発生してわたしたちの耳に届き、その音を認識するという過程を追ってみたい。

大まかな流れは次のようになる。

  1. 何らかのものが振動する

  2. その振動は空気を震わせる(振動させる)

  3. その空気の震え(振動)がわたしたちの耳に届く

  4. 耳が空気の振動を電気信号に変換する

  5. それを受けた脳が音として認識する

 

まずは、1.2.について。まとめていうと、音の大元は振動だということだ。太鼓を叩くという行為を考えてみよう。バチで太鼓の皮を叩くと、その皮は振動する。その振動は周りの空気を振動させることになる。もうひとつ身近な音の代表として声を例にして考えてみよう。こちらは太鼓よりも少し複雑だが、基本は同じだ。

 

体の中で声が作られる過程を追ってみると、大きく次のような流れになる。

(A)肺から出てきた空気が気管を通り、

(B)その出口にある声帯を震わせ(これが声の元)

(C)その空気の振動が気道(喉や口の奥あたり、共鳴腔ともいう)で大きくされ

(D)口や舌の形を変えて母音・子音などに変化させて口から出る。

 

つまり、わたしたちは体の様々な器官を大きくまたは微妙に変化させて、空気の振動を作り出しているのだ。その空気の振動の変化の具合により、音量も、音程も、声色(音色)さえもコントロールしている。

 

音を発するものは形は違えど同じような仕組みになっている。太鼓の場合はバチでその皮を叩くことにより太鼓の皮を振動させているし、ギターやピアノは弦を弾いたり叩いたりして弦を振動させている。スピーカーは電気の力であの丸いコーン紙を前後に振動させている。それぞれの振動は周りの空気を振動させることになり、それが音と呼ばれるものになるということだ。

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次は「3.空気の振動が耳に届く」について。普段わたしたちはあまり意識しないが、空気がないと音は伝わらない。正確にいえば耳で音を受け取ることができない。わたしたちの耳は空気の振動を音として認識するように造られているからだ。音は空気の振動であることを考えると、音の発生源とそれを聞く側の耳の間の空気は常に振動しているということになる。

 

そして4.と5.これはわたしたちの耳がこのように造られているとしか言いようがないのだが、耳に届いた振動は耳の中で複雑に処理され最終的には電気信号に変換されます。それが神経を通り脳までたどり着き、音として認識されることになります。興味のある方はこちらをご覧ください。

音が聞こえる仕組み<音が耳で聞こえる?>

 

長々と書きましたが、ポイントは、「音というのは空気の振動」だということです。

 

ですが、空気の振動すべてを音として認識できるわけではないのです。そのことは音を伝えるうえでも重要になってきます。

音が伝わるということ(1)

「音とは何か?」

「音が伝わる」ということはどういうことなんだろうか?

音響というものに携わっていなければ、こんなことを考えることはなかったと思う。実はこんなことあまり深く考えなくても、機材のセッティングをしたり、PAシステムで音を出したり、録音したり、ひととおりのことは教わればできてしまう。

 

でもそれでは出てきた音に何も足さず、何も引かず、「音をそのまま伝える」、ということには到達しないのだ。そこを目指すためには音について考えるということは避けては通れない。音というのは時に繊細で、時に力強く、激しくこころを揺さぶりもし、温かく包んでもくれる。実におもしろい存在だ。

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それじゃぁ、音って具体的に言うと何なの?

そこを数回に分けて掘り進めてみようかと思う。

 

 

MAGという存在2~そして、それを継ぐものとして

先のコラムでMAGから学んだ中でひとつだけと書いたが、実は当然ながらそんなことはない(笑) 

機材の電源の入れ方から、マイクケーブルの接続の仕方、マイクの取り扱い、ミキサーの操作、スピーカーチューニング、ハウリングの対処方法、舞台の配置図の書き方、仕込みの回線図の書き方、外部のホールで行うときの担当者とのやり取りや手続きの仕方、本当に手取り足取り一から教えてもらった。MAGには多謝多謝である。

 

そしてわたしは一奉仕者としてではあるが、様々な経験を積み、ある程度のことはできるようになった。しかし、それでめでたしめでたし、というわけにはいかないようだ。

 

わたし自身まだまだ勉強中ではあるのだが、そろそろ次の世代のことを考えねばならんかなぁと思い始めている次第。機材の扱いから、音響を担当するものとしての心構え、舞台に立つ人や演奏者とのやり取り、etc. etc. まだきちんとした形で語ったことはなかった。今年中学になる息子も昨年のクリスマスに洗礼を受け、教会のメンバーとなった。高齢化とかどうとか言われるが、教会でも若い世代が着実に育っている。継ぐべきものはきっちり継いでいかなければ。そんな思いでつたない文章ながらもこんなことを書き始めているのだ。まだまだ先は長いぞ(o)o

MAGという存在

今回はPAを学び始めたころのお話し。新らしい教会堂(現在の教会)で活動を初めてまだ間もない頃、音響のレベルアップのために、音響チーム、ワーシップチーム一緒にPA入門と称し、先生を呼んで学びをしようということになった。講師は鈴木幹夫氏率いるMAG。MAG1993年にミクタムレコードから独立した音響会社で、教会関係を中心に事業展開していた。新会堂に導入された音響設備の設計を行っていただいた会社でもある。

 

その中で学んだことで、一つだけ覚えていることがある。「一つだけかよ!」とおしかりの言葉が聞こえてきそうだが、この一つがわたしにとって、とても重く、大きい言葉となっているのだ。それは、

 

 『PAというのは、小さいカップをそのままの形で大きくすることなんだよ』

 

という言葉。つまり変にカップの持ち手だけを大きくしたり、カップの高さだけを変えたりせず、相似形で大きくすること。

 

え?と思われるかもしれないが、わたしはこのことを実践するために今も学び続けているといっても過言ではない。それだけPAというものを考える際に、わたしの中で大きなウェイトを占めている言葉だということだ。

 

もう少し詳しく説明しよう。PAというのは前にも書いたようにPublic Addressの略で、「多くの人に伝える」ということだ。そして、「小さいカップ」というのは「伝えたい元の音」ということ。それをそのままの形で「大きくする」=「多くの人に伝える」ということ。そして、「そのままの形で」ということは、何も間引いたりせず、付け加えることなく、ねじ曲げることなく、そのまま伝えることを意味する。そんなのボリューム上げるだけなじゃいの?そんな簡単な話なら音響を学ぶ専門学校だっていらないし、わたしも悩まずに済むのだがね(笑)

 

http://mag-music.net/index.html

PAシステムは必要悪

わたしはPAシステムというのは必要悪だと思っている。

ここでPAシステムとは、PA(伝達)を行うために使われるマイクやアンプ、スピーカーなどをまとめて1つのシステムとしたものと考えてほしい。

 

何故「悪」だと思うのか。それは、PAシステムを使うということは、イコール「語り手」と「聞き手」の間に「PAシステム」つまり、第三者による機器の操作が入ることを意味するからだ。そうすると、肉声の持つダイナミクス(声の強弱)や、肉声の持つ表情(音質)が変わってしまう可能性があるのだ。いや、変わってしまうことの方がかなり多いといってよい(しかも伝わりにくくなる方に)。誰かにメッセージを伝えたいとき、自分が考えていることの真意を理解してもらいたいとき、Face to Face で直接伝えた方が、伝わりやすい場合が多いのではないだろうか。「聞き手」の心に届く。そのことを第一に考えるならPAシステムなんてない方がよい。でも多くの人に伝えるためにはどうしても必要なシステムでもある。つまり「PAは必要悪」。わたしはそう考えている。

 

なぜPAシステムを使うとそうなってしまうかは別の回に譲るが、だからこそわたしは学び続けたいと思っている。「語り手」の声を「聞き手」の心にもっとよく届かせるにはどうしたらよいか。声とは、音とは何か、その伝わり方とは、機材の知識、その使い方、習熟度、etc...「語り手」の声をストレートに届けるために。その思いを伝えるために。