potaon’s blog

教会PA考-キリスト教会で20年音響に係わってきて、いろいろ思うこと、次の世代に伝えていきたいこと。

MAGという存在

今回はPAを学び始めたころのお話し。新らしい教会堂(現在の教会)で活動を初めてまだ間もない頃、音響のレベルアップのために、音響チーム、ワーシップチーム一緒にPA入門と称し、先生を呼んで学びをしようということになった。講師は鈴木幹夫氏率いるMAG。MAG1993年にミクタムレコードから独立した音響会社で、教会関係を中心に事業展開していた。新会堂に導入された音響設備の設計を行っていただいた会社でもある。

 

その中で学んだことで、一つだけ覚えていることがある。「一つだけかよ!」とおしかりの言葉が聞こえてきそうだが、この一つがわたしにとって、とても重く、大きい言葉となっているのだ。それは、

 

 『PAというのは、小さいカップをそのままの形で大きくすることなんだよ』

 

という言葉。つまり変にカップの持ち手だけを大きくしたり、カップの高さだけを変えたりせず、相似形で大きくすること。

 

え?と思われるかもしれないが、わたしはこのことを実践するために今も学び続けているといっても過言ではない。それだけPAというものを考える際に、わたしの中で大きなウェイトを占めている言葉だということだ。

 

もう少し詳しく説明しよう。PAというのは前にも書いたようにPublic Addressの略で、「多くの人に伝える」ということだ。そして、「小さいカップ」というのは「伝えたい元の音」ということ。それをそのままの形で「大きくする」=「多くの人に伝える」ということ。そして、「そのままの形で」ということは、何も間引いたりせず、付け加えることなく、ねじ曲げることなく、そのまま伝えることを意味する。そんなのボリューム上げるだけなじゃいの?そんな簡単な話なら音響を学ぶ専門学校だっていらないし、わたしも悩まずに済むのだがね(笑)

 

http://mag-music.net/index.html