potaon’s blog

教会PA考-キリスト教会で20年音響に係わってきて、いろいろ思うこと、次の世代に伝えていきたいこと。

PAって

Public Address の略

 

一般的には直訳すると「大衆伝達」などと言われている(ちょっと古くさい響きかぼ)。人の地声や生の楽器の音などをマイクやアンプ、スピーカーなどの音響機器を使ってより多くの人に届けようとすることだ。つまり、それだけでは届く範囲が限られる小さい「生の音」を、電気の力を借りて大きくし、より多くの人に伝えるというのが「PA」という手段。

 

コンサートや講演会で行われるPAはもちろん、学校の校内放送、スポーツ会場でのアナウンスなどもPAと言ってよい。その昔は大勢の人を前に話す場合、地形や風向き、建物の反響を上手に利用していた。聖書に出てくる山上の垂訓の場面はそういう立地を考えて行われたのだろうか・・・と、思いを馳せることがある。それが電気を利用することができるようになり、伝えるための環境を整えることがより簡単にできるようになったというわけ。電気を利用することでそれを記録することも容易にできるようになった。便利な世の中だね。

 

最近はコンサートPAのことを「SRSound Reinforcement)」、つまり音の補強と言ったりもするようだが、わたしは伝えるという意味での「PA」という言葉の方が好きだ。

 

教会以前

教会で音響の学びを始める以前、音響なるものと係わりがあったのかと言われれば、NOだ。一般的に音響というとコンサートのPAとか、スタジオでのレコーディングなんかを思い浮かべる人が多いかと思う。その2つに近いことといえば・・・

 

PAに関していえば、高校~大学時代ライブには結構通ったが、お客さんとして行っていただけで、音を聞いて感じて楽しんではいたが、PAの機材がどうとか、どんな操作をしてるかなんてことには全く興味がなかった。

 

また録音ということに関しては、ラジオから好きな曲が流れるのを見計らってカセットテープに録音したり、レコードをカセットテープにダビングしたり、好きな曲だけを集めて編集したカセットテープを作ったり、そんな程度。まぁ一般的な音楽好きの範囲内というところ。

 

特に音響関係の仕事に携わっていたわけではないのだ。ちなみに、自分の小遣いで一番最初に買ったレコードはさとう宗幸の「青葉城恋唄」のシングル。45回転のドーナツ盤だ。中学生の時だったかなぁ。懐かしい。

音響との出会い

たしが音響というものと出会ったのは、教会に行くようになってから。山形県米沢市にあるキリスト教の教会だ。1994年、およそ20年も前の話教会との出会いなくして音響との出会いはなかったといってよい。

 

当時のわたしは見た目には順調だった社会生活を自ら壊し、生きる意味を見い出せず、人生なんてどうでもいい、と思いつつも、何とかしなければならないという思いもあり、でも何もできず悶々とし、悩み、暗闇の真っただ中で、キリストに一筋の光を見出そうとしていた。

 

それを抜け出すために、洗礼を受けることを決意。長い冬が終わり雪が溶けた4月、教会ではイースターをお祝いするそんな日だった。わたしはやがて献身の思いを抱くようになる。それまで好きだった詩を書くことも、音楽もギターもパソコンもすべて無にしてもかまわない、いや、無にして一から始めたい、そんな気持ちだった。

 

間もなくしてわたしはその教会のスタッフになることを希望し、それは程なくして許されることとなる。そんなわたしに音響の奉仕をという声がかかり、言われるままにそれを受けることになる。それが音響との初めての出会いだ。その当時、わたしは教会で専門的な音響の奉仕があるなんて想像だにしていなかった。自分の意思とはまったくかけ離れたところで導かれていた、そんな感じ。別に好きで始めたことじゃないのに、その後20年も音響というものと係わっていくことになるとは夢にも思わなかった。